人はなぜ"働く"のか
人はなぜ働くのでしょうか?
勤労感謝の日が近付くと、私も保育園や幼稚園でよくお話ししました。
そうでない時も機会があればお話しして来ました。
-パパやママはどうして働くの?
-お金のため。
-そうだよね。
みんなが毎日ご飯を食べて、
欲しいおもちゃを買ってもらえて、
素敵なお洋服を着れるのは、
パパやママが一生懸命、働いてくれたからだよね。
じゃあ、勤労感謝の日にパパやママになんて言ったらいいかな?
-ありがとう!
-おつかれさま!
-そうだよね、勤労感謝の日というのは一生懸命働いてくれる人たちにありがとう、ご苦労様と感謝する日です。
こんな風にお話ししていました。
でも、これはちょっと浅はかな説明だったな、とこの頃気づきました。
人はなぜ働くのでしょうか?
あなたは自分の仕事を思う時、何を思って働きますか?
もちろん、お金のため。
お金がなければ、生きていけません。
食べ物も買えず、家族を路頭に迷わせてしまいます。
では、お金さえ稼げれば目標達成、幸せですか?
もしそれが、yes ならば、オレオレ詐欺で人を騙して大金を手にしたとしても、幸せなのでしょう。
でも、ほとんどの大人はそれをしません。
お金さえあれば幸せ。
という考えで働いている人は本当に幸せなのでしょうか?
私が働く理由は、人に喜んでもらいたい、人の助けになりたいからです。
とても綺麗ごとに聞こえてしまうかもしれませんが、人が働く第一の原動力はそこにあると思います。
大変な仕事も、体を酷使して痛めてしまったとしても、
子ども達が喜ぶ姿を見ると嬉しくなるし、力が湧いてくる、
親御さんに、有難い、本当に助かりますと言われればもっと頑張ろうと思える。
お父さんは、家族を幸せにしたいから、頑張って働きます。
お客さんのありがとうを聞きたいから、店員さんは働きます。
子どもの笑顔を見たいから、保育士は働きます。
人を助けたいから、看護師は働きます。
みんな、お金がもらえるのにプラスして、
必ず "やりがい" というものがあるはずです。
よく、育児書やセミナーなどで、子どもを物で釣ったり、ご褒美をあげたりするのは、如何なものかと聞いて来ました。
私は今まで、それの何がいけないんだろう?
それこそhuman being 人間本来の働く原動力じゃないか?と思っていたからです。
でも、気付いたのは、本来はそこじゃない。
そこじゃない所に幸せを感じられる大人になってもらいたいと思うのです。
ご褒美がもらえるから頑張る
お小遣いが欲しいから頑張る
では、それがなかったらやらない。
人間は、見返りがなければ、大変なことや辛い事を乗り越えてはいけないけれど
その"見返り"が、物やお金だけである事ほど、悲しい虚しいことはありません。
物はいくらもらっても、足りないのです。
お金もいくらあっても足りない。
心はいつも足りない足りないと枯れていき、
仕事はお金を稼ぐだけの手段になる。
好きでもない仕事を生きるためと嫌々やって、
一生を過ごすのか、
誰かのため、誰かの笑顔が見たい、誰かを助けたい、そう思えば仕事の疲れも、苦労も、途端に乗り越えられる。
たとえ低い収入で、欲しいものが買えなかったとしても、
仕事そのものにやりがいを持っていたなら、
この辛い仕事も誰かのためになると考えられたなら、
その人は幸せを感じられるんじゃないかと思うのです。
そして、私は子ども達にそれを学んで欲しい。
誰かのためになることが "喜び" や "力" になる事を学んで欲しい。
物で釣る、お小遣いをあげる、それは大人の事情に沿った社会のあり方を家庭に反映したものなのかもしれないけど、
本来の、働く喜びを学ぶ事を阻む行為であるから、如何なものかと言われているのだな、と
私は私なりに解釈しました。
子どもが何かをした時、お母さんが満面の笑みで喜んでくれたら。
自分が誰かを幸せにすることができたら、
それってとても嬉しいな、そう子どもが感じられるような声かけ、接し方をしていきたいと思いました。
なんだか、うまいことまとめられなかったけど、私が気付いたこと、未来の自分にちゃんと伝わりますように。
自分が誰かの笑顔を作ることができたら、
それってとても嬉しい事なんだ。
もっとしてあげたい、今度はなにをしてあげようかな。
なにをしたら喜んでくれるかな?
そう考えられる子どもが増えたら、世界はぐんと変わるんじゃないかな。
勤労感謝の日には、一生懸命働いてくれてる人に対して、
いつもありがとう、あなたのお陰で私は笑顔でいられるよ、と満面の笑顔で言いたいものです。